ルードウィヒ・B

今年も終わろうとしていますが、これを書かないと終われない!ということでルードウィヒ・B〜歓喜のうた〜のことを書きます。総括。

発表があったのは10月13日。起きたら世界が動きまくっていました。かわいくんと橋本くんが舞台。

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どうしてこんなに興奮しているかって、私は今までも書いていましたがかわいくんと橋本くんのふたりの関係性がとても好きだから。「こわい先輩だったかわいくん」と「きらわれたくなかった橋本くん」のふたりが、同じ舞台にたつ。こりゃ何かあるぞ!と少ないジャニーズ貯金を全部下ろすことを決めたのでした。

チケット取ったり新幹線取ったりホテル取ったりしてたらあっという間に初日。11月27日。
幕が開くのが信じられなくて、とっても失礼な話なんだけどずっと「ドッキリじゃないよね…?」って友だちと言っていた。「ルードウィヒ・B〜愛の剣士たち〜」とか言ったりしていた。でも、幕は開きました。
国際フォーラムはとてもきれいな会場でした。ファウストもこういうところでやれたらなあって少しせつない気持ちになったり。
開演、はしふみ担二人でファウストのハンカチを握りしめながら迎えました。

初日の感想。この時点ではこんな気持ち。まだファウストから全然帰ってこれてなかった。だって手塚原作だからところどころファウストと通じるものがあったんですよね。どちらも「満足のいく人生を送るために頑張る」主人公を見守る話でした。「だいたいファウストだった!」とか言いつつ。ルードウィヒはクズじゃなかったけど。笑
でも本当に、この舞台は橋本くんとかわいくんにしか出来ないなってすごく思った初日でした。この二人でよかった。かわいくんはとてもきれいで美しかった。はしもとくんはとてもかわいかった。私の大好きな二人だった。この日一番響いたセリフは「人間って、死ぬのをわかってるのに、なんか頑張んだよね、ばかみたいに。」

二日目。11月28日。

この時点で私はルードウィヒ・Bをフランツの物語として見るようになってしまった、のかな。橋本くんごめんね…。でもフランツはどうしようもなくかわいそうでかわいそうで、いとしい人間でした。だからそんなフランツを救ってくれたユリシーズもとてもいとしかった。お互いにお互いが英雄であるこの親子がとても好きになっていました。ユリシーズという名前は「英雄」という意味なんですよね。父親の呪いに縛られて生きてきたフランツがすこし救われたような顔をしたのがとても好きだった。正しいと思って、というか正しいと「思い込んでいた」っていうのが合ってますかね。思い込まざるを得なかったのかな…。
それからは毎日そういう物語として見るようになっていました。ユリシーズの純粋さがまぶしくてたまらなかった。絶望だけを与えられて生きてきたフランツが、希望だけ与えてユリシーズを育てて。その想いの通りに育ったユリシーズ。ここもまたこの舞台の「父と子」なんですよね。「人とは勝手に夢を見て 勝手に夢を託すもの 勝手な親は子に夢を 子は気づかずに夢を見る」。フランツはもう勝手も勝手ですよ、勝手に救われたような気持ちになって、勝手にユリシーズに夢を押し付けた。でもユリシーズにとっては自分を救ってくれたおとうさまが英雄だったから、それを素直に受け入れたんですよね。おとうさまの英雄になりたかったから。そんなユリシーズはフランツの夢を叶えて、ルードウィヒの第九を完成させることが出来た。ユリシーズはおとうさまの英雄になれた。だから希望に満ち溢れた顔で第九を歌うユリシーズを見るとどうも泣けて泣けてたまらなかったです。

少し経って12月2日。やっと実感が湧いてきました。これはすごいことなんだ、この二人にとってものすごく良いことなんだ!と思って電車で涙ぐんでました。電車で泣きかけるのそろそろやめたいとは思っています。

12月4日。フランツはどんどんユリシーズをあやすのがうまくなっていっててそれが面白かったんですけど、この日フランツ、笑ったんですよ。この日からフランツここで笑うようになったんですよ。フランツが笑うのってこことユリシーズとのシーンだけなんですけど、フランツがユリシーズに救われた、っていうのがより伝わるようになってて良かったです。

あそこで父親を一切否定しないユリシーズが好きでした。フランツがしたことは許されないことなんです。でもユリシーズは父を救ってあげたかった。許されないことだってそんなのはユリシーズにもわかっていた。けど父を救えるのは自分だけだってユリシーズはわかっていたんですよね。英雄になれるのは自分だけだって。だからおとうさまのせいじゃない、って自分だけでも言ってあげたかったんじゃないかなあってこのシーンはずっと思ってました。

そして東京楽日。12月6日。ここまであっという間でした。
この頃にはユリシーズとフランツだけじゃなくて、ちゃんと舞台全体を見られるようになっていました。なっていたはずです。ヨハン(ルー父)のことが大好きになってました。この舞台は父親を好きになる舞台ですね…。

ルードウィヒの音楽を一番理解して一番近くで聞いていたかったのはお父さんだったんじゃないかなあ。
ルードウィヒの音楽が好きだったから、ボンから出て行ってほしくなかった。近くで聞いていたかった。でも、ルードウィヒの音楽が好きだったから、ウィーンに行って偉くなって、世界中の人たちにルードウィヒの音楽を聞いてもらいたかった。ここのお父さんもかわいそうな人で、とっても不器用だったから、「酒代置いていけ」って息子に嫌われる道を選ぶことしか出来なかったんですよね。
そんなわけで東京前楽ではお父さんがルードウィヒの旅立ちの時に歌う曲でずっと泣いてました。「悪の中で育つ善をお前に」のところがお父さんの愛に溢れててたまらなかった。

楽、私はこの日までモーツァルトというキャラクターにそこまで思い入れは無いと思っていたんですが、もうはしふみのふたりがこの国際フォーラムに、ルードウィヒとモーツァルトとして立つことはないんだなあと思って、どうしようもなく泣けてきました。16回のループを繰り返して、この劇場からいなくなってしまう。もうルードウィヒはモーツァルトに弟子入りしないし、二人で歌うこともないし、モーツァルトがルードウィヒを残して死んでしまうこともない。私は国際フォーラムに立つモーツァルトが高貴で美しくてたまらなく好きだったことに気づいたのでした。もう会えないけど。

そして。

もう泣くしかなかった。何度も言うようだけど、私はこの二人の関係性が、この二人のドラマが大好きなんです。その二人のドラマが動く瞬間に立ち会うことができた、こんなに幸せなことはないです。